一年を24に分けたものを二十四節気と呼び、
それをさらに3等分ずつにしたものを七十二候と呼びます。
ひとつの節気で大体15日間、ひとつの候で約5日間です。
1月6日~1月10日頃は、二十四節気で言うと「小寒」、
七十二候は「芹乃栄(せりすなわちさかう)」と名付けられています。
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二十四節気が小寒になり、
これからますます寒さが厳しくなっていきます。
七十二候の通り、芹の生育が盛んになる時期です。
芹は春の七草としても有名ですが、
中国では紀元前17世紀頃(遅くても紀元前12世紀頃)から食用にされていたようです。
日本最古の歴史書である『古事記』や歌集『万葉集』にも芹は登場します。
そんな芹は、昔に人にとって身近な食べ物だったのでしょう。
江戸時代には松尾芭蕉がこんな俳句を詠んでいます。
かなしまむや 墨子芹焼を 見ても猶
(墨子は芹焼きを見ても悲しむのだろうか。いやきっと喜んで食べるに違いない)
墨子というのは古代中国の思想家ですが、
白い練糸が黄色や黒に染められるのを見て悲しんだという逸話があり、
芭蕉はこの逸話を用いて俳句を詠んだのです。
私は墨子について詳しくないので、
彼が何を思い、白糸が染められることを悲しんだのかは分かりませんが、
まっさらな白が、人間の都合によってどのようにも染められてしまう様は、
深く考えさせられるものがありますね。
さて、芹は鮮やかな緑色をしていますが、
鍋で煮ていると黒ずむところから、芭蕉は墨子の逸話を連想したようです。
墨子という高尚な話題に、俗っぽい芹焼という料理を掛け合わせたところに、
この俳句の滑稽さ、つまり芭蕉のセンスが詰まっているわけです。
ちなみに芹焼という料理は、今回参考にした文献(新編日本古典文学全集)では、
鳥の肉や他の野菜とともに醤油で味付けして、鍋焼にして食べる料理のこと、
もしくは、芹の油炒めのことかと書かれていました。
どちらも美味しそうですね。
松尾芭蕉は芹焼について他にも俳句を残しています。
芹焼や 縁輪の田井の うす氷
(芹焼は美味しいので、食べていると山裾の田んぼの薄氷が浮かんでくる。
春はそこまで来ているなぁ)
素朴でほっこりする句ですね。
こんな風に芹焼をいくつも話題にするところを見ると、
芭蕉は芹焼が好きだったのかもしれませんね。
今回、芹を調べていたら、「芹曝(きんばく)」という熟語を発見しました。
「曝」には、陽にさらすという意味があり、
芹曝を直訳すると「芹とひなたぼっこ」となります。
これは、中国の故事が元になっていて、
ひなたぼっこが好きで、芹を美味いと思う田舎者がいて、
彼はこれを天子(皇帝)に献上しようとしたのだそう。
そこから転じて、芹曝は、
「農民のささやかな楽しみ」や「つまらないもの」という謙遜の言葉になりました。
芹とひなたぼっこが好きだから、
それを天子に差し上げようと思った。
なんだかとても素敵な感じがしませんか?
辞書では「つまらないもの」という謙遜の意味が載っていますが、
高価だったり貴重なものではなく、
自分が好きな物も捧げたいと思った気持ちは、
「つまらないもの」なんかでは無いし、むしろいい話だなぁと思いました。
皆さまはどうお感じになりましたか?