一年を24に分けたものを二十四節気と呼び、
それをさらに3等分ずつにしたものを七十二候と呼びます。
ひとつの節気で大体15日間、ひとつの候で約5日間です。
11月2日~11月7日頃は、二十四節気で言うと「霜降」、
七十二候は「楓蔦黄(もみじつたきばむ)」と名付けられています。
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すっかり冷え込んできましたね。
今回の七十二候の通り、
木々の葉が色づく季節がやってきました。
もみじと言うと、現代では楓の葉を指すことが多いですが、
紅葉した葉全般のことを言うこともできます。
実は、もみじは「もみつ(もみず)」という動詞が名詞化したもの。
「もみつ(もみず)」は草木が赤や黄に色を変えるという意味の動詞です。
そして、現代ではもみじを紅葉と表記しますが、
奈良時代の『万葉集』ではもみじ=黄葉という表記が多かったそうです。
どうして黄葉から紅葉へと変わったかというと、
諸説あるようですが、
理由の一つとして、紅という色の価値が関係していると考えられています。
以前、ブログで紹介しましたが、
かつて紅花から作られる紅色は、金に匹敵するほど価値あるものでした。
(紅についての記事はこちら)
貴族社会の中で、
紅は憧れの対象であり、愛好された色だったのです。
もみじは秋の景物として和歌に詠まれることが多いですが、
もみじの美しさを表す表現として、
黄葉よりも紅葉の方が好まれたのではないかというわけです。
百人一首の有名な歌に、
ちはやふる 神代も聞かず 竜田川 唐紅に 水くくるとは
というものがありますね。
これは平安時代のモテ男、在原業平が詠んだ歌です。
簡単に訳すなら、
散ったもみじが竜田川をこんなに美しく彩る情景は、
神々の時代にだって聞いたことがない。
となりますが、
業平が、もみじを唐紅と表現していることがポイントです。
唐紅は鮮やかな濃い赤のこと。
しかし、単に色を指すのではなく、
唐紅というのは、色の美しさを称賛する語でもあるのです。
このように、
業平がもみじに対して唐紅という称賛語を使っていることからも、
平安人が赤い葉に美しさを感じ、愛好していたことが分かりますね。
現代の私達が、もみじと言うとまず赤い葉(主に楓)を思い浮かべるルーツは、
平安の人たちの美的感覚にあるのかもしれませんね。