一年を24に分けたものを二十四節気と呼び、
それをさらに3等分ずつにしたものを七十二候と呼びます。
ひとつの節気で大体15日間、ひとつの候で約5日間です。
5月21日~5月25日頃は、二十四節気で言うと「小満」、
七十二候は「蚕起食桑」と名付けられています。
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二十四節気が「小満」になりました。
あらゆる生命が成長し、満ち満ちていく時期です。
七十二候は「蚕起食桑」(かいこおきてくわをはむ)ですが、
蚕は桑を食べて成長し、一か月ほどで繭になるようです。
さて、今日はそんな蚕のお話です。
「御養蚕始の儀」という、
明治以降、皇后さまに受け継がれている儀式があります。
蚕の飼育を始めるにあたり、神に祈るためのものです。
皇后さまが、蚕に手ずから桑をお与えになる姿をニュースで見て、
素晴らしいなぁと思ったことがあります。
この儀式自体は明治以降のもののようですが、
日本にとって養蚕は古来から重要な産業であり、
「おかいこさま」と敬称で呼ぶ地域もあります。
では本題。
蚕と馬の関係についてです。
養蚕の起源は古代中国と言われますが、
中国には「蚕馬(さんば)伝説」というものがあります。
とても簡単に紹介するなら、
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出征中の父の身を案じた娘が、飼っていた馬に、
「父を無事に連れ帰ってきたら馬の嫁になる」と告げると、
馬は本当に父を連れて帰ってきました。
しかし娘と馬の約束を知った父は怒って、
馬を殺し、皮をはいでしまいます。
娘がふざけて馬の皮を踏むと、
馬の皮は娘を包んで、天に飛んで行ってしまいました。
その後、馬の皮と娘は同化し、蚕となって糸を吐いていましたが、
普通の繭よりもよっぽど糸が取れたのだそうです。
(『捜神記』巻14より)
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現代の我々の感覚からすると、
馬の皮と娘がなぜ蚕になるの!?
などなど、
ちょっと色々と受け止めづらい気がします。
(そもそも馬が可哀そうすぎます、、、)
実は、日本にも類似したお話があり、
こちらの方がストーリーとして受け入れやすいように思います。
主に東北地方で信仰されている家の神に、
「オシラサマ」という存在がいらっしゃいます。
このオシラサマの起源に、蚕と馬が出てくるのです。
* * *
あるところに父娘がいました。
美しい娘は飼い馬を愛していて、
ついには馬と夫婦になりました。
それを知った父親は、馬を殺してしまいます。
嘆き悲しんだ娘は、切り落とされた馬の首に乗って、
天に昇って行ってしまいました。
オシラサマはこの時に生まれた神様なのだそうです。
そして、娘は、自分がいなくなっても父が困らないようにと、
蚕を託していったのだそうです。(←ここは諸説ある模様)
(柳田國男『遠野物語』より)
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ですので、オシラサマは養蚕の神や馬の神とも言われています。
私は中国の蚕馬伝説より、
娘が馬を愛したというオシラサマのお話の方が
心情的に共感できるし、好きですが、
皆さまはどうお感じになりますか?